霊的真理とともに歩む

──真のスピリチュアリズム普及のために

常に霊的視点で見ることのむずかしさと大切さ

2022年になり、およそ半月が過ぎました。

年末年始はどうしても忙しくなり、多くのひとがゆっくりできるお正月でも家庭の主婦、主夫ともなれば、かえって普段より忙しい、というひとも多いのではないかとおもいます。

わたしもそうで、帰ってくる家族をむかえる準備に追われたり、お正月も三度の食事の準備とけっこうあわただしく過ごしました。


そうしていると、なんとなく身体の調子がおかしくなっているのに気がつきました。最初は、寒さで外に出ず運動不足になっているのか、あるいは日光を浴びていないせいか(ビタミンD不足)、とおもっていました。

たしかに、そういう要素もあるとおもうのですが、よくよくかんがえてみると、日常生活の視点が霊的なものから物的なものへと傾いていたせいでもあるとおもい至りました。

 


地上人の多くは体調不良を抱えています。

近年は若い世代でもストレスがあり、その解消のためにカロリー過多(必須栄養素の慢性的な不足)になったり、運動不足のひとが多く、決して健康的とはいえない状況です。

若いために肉体的なエネルギーが豊富にあるため、あまり決定的な病的状態にはなっていないでしょうが、これが40代、50代となると、深刻な病気を発症してしまうことにもなりかねません。


現代人全体にみられる”未病”状態は、日常生活があまりに物的視点に傾きすぎ、霊的視点(静寂のなかで自分を顧みること、真理に意識をそわせようとつとめること)がなくなってしまっているためだとおもいます。

体調不良はそのことを気づかせてくれるきっかけになります。

 

 

でも、しなければならないことや仕事が増えると、どうしてもそれにかかりきりになり、意識がつい霊的なものから外れてしまいます。

常に霊的視点を持つと言うことは、肉体を持っている地上人には、とてもむずかしいことです。


シルバーバーチもそのことによく言及していますが、忘れてはならないのは、むずかしいからこそ取り組んで克服していく価値があるということです。これは霊的なことにかぎらず、物的なことでも一緒ですね。

霊の宝は一足飛びに獲得できるものではないので、霊界の高級霊もそのような道を通って霊的成長を遂げてきたのだ(だから自信を持って断言しているのだ)とおもうようにしています。


わたしたちは常に霊的視点と物的視点のなかで揺れ動く存在だと、客観的に見つめつつ、より高い意識を目指して、日々努力しようと決意しています。