霊的真理とともに歩む

──真のスピリチュアリズム普及のために

8050問題について

8050問題とは、80代(あるいは高齢)の親と50代(中高年齢層)の子どもの世帯が、社会のなかで孤立し、さまざまな問題が引き起こされている現象です。

昭和の時代までは、成人した子どもは親世帯から独立して生活を営んでいるのが一般的でした(結婚はしなくても一人暮らしをしているひとが多かった印象です)

それが、平成半ば以降、就職でうまくいかなかった、親の介護を担うようになったなど、実社会から遠ざかってしまう成人の問題が顕著化するようになりました。不登校から引きこもり、そのまま30代、40代になっても親の扶養で生活しているひとも多いようです。

そのため、生活に困窮する世帯も増加し、なかには家族のなかで暴力事件、殺人事件に発展するケースも出てきて、大きな社会問題になっています。

 

親としては子どもに働いてもらい、自力で生活してくれることを願います。(そのために、高等教育を受けさせ、塾にも通わせています)

しかし、何らかの原因で、子どもが親や社会と適切な関係を結べず、引きこもってしまうケースがあります。

 

わたしも、かつては、子どもが引きこもってしまうのではないかと心配した者です。

なぜ普通の子どもと同じようにできないのかとおもいながらも、問題を直視してこなかった過去があります。

また、わたしの妹も心身の問題をかかえながら、両親が“なんとかなる“と根拠のない希望を持ち、最近になって家庭内の問題にまで発展することになってしまいました。


これらの経験をふまえ、成人した無職の子どもをかかえるかたに、すこしでも参考になれば、とおもってこの問題を取りあげることにしました。

 

 

わたしの子どもは、幼児のころから一つのことにこだわりが強く、思春期にはいったころから、口数が激減しました。小学校のころは明るくそこそこ活動的でしたが、中学にはいると食事のとき以外は部屋に篭りきりという生活でした。

大学に進学して好きな理系科目を専攻し、一人暮らしもしましたが、就職せず、結局自宅にもどってきました。

そのころの状態はといえば、就職する気はあるものの、どうしても具体的な活動に結びつかず、本人もとても苦しかったとおもいます。

自宅にもどった段階でメンタルクリニックの診察を受け、発達障害と診断されました。そのときよかったとおもうのは、思春期から本人が“自分はなぜ人と同じようなことができないのか“と悩んでいたことがスムーズな受診につながった、ということです。


その後、単発のバイトを一年ほどつづけていましたが、新型コロナが流行しはじめるとそれもできなくなりました。

このままでは、本当に引きこもりになってしまうと案じたわたしは、ハローワークに行くことを誘い、障害者枠の採用を目指そうと提案しました。

このときも、子どもは素直に賛成してくれ、それからとんとん拍子に、問題が解決していきました(偶然とはおもえないほどスムーズでした)

現在は、障害者枠で採用されて、欠勤もせず、毎日仕事に励んでいます。


このように書くと、深刻な問題ではなかったのでは、とおもわれるかたもいらっしゃるとおもいますが、二年間ほど進展が見られなかったときは、この先どうなるのかと日々暗い気分でした。

わたしはスピリチュアリストなので、これまでのこともすべて霊的覚醒のために必要な試練だったとかんがえられるのですが、この世だけの視点で見ると、発達障害の診断が遅れたために適切なアドバイスができなかったから、と受け取られるかもしれません。事実、わたしも長いあいだ、そうやって自分を悔いてきました。

(ただ、物事は、一面からしか見られるものではなく、多面的に捉えることができます。どちらが正しいというわけではなくて、“どちらも正しい“と言えるとおもっています)

 

過去を振り返って、節目節目でどうすればよかったのか、あるいは、どう子どもにアプローチしたことが本人にとってよかったのか、かんがえてみました。

今回は、問題解決に向けてのプラスの点に注目してみます。

 

わたしが心がけたのは、反応がなくても声がけを続ける、自分自身が興味あることで子どもとも接点がある事柄を日常会話のなかで投げかける、規則正しい生活をする(させる)、外に誘う、なるべく家事を手伝ってもらう、無理強いはしない、などです(規則正しい生活をさせることについては、すこし強く言ってもいいかもしれません。その子に応じてではありますが)

行動を促すときは決して感情的にならず、理性に訴えるようにしました。たとえば家事であれば、“その家で暮らす以上なにがしかの義務が生じること、家事をすることで義務を果たせること“、です。

最初は反応が弱いかもしれません。わたしの子どももいきなり積極的に活動的にはなりませんでした。でもとにかく、あきらめず子どもと接点を持つようにしました。


また、妹の状況を見ておもうのは、親が子どもと積極的に関わろうという姿勢をみせるかどうかが重要ではないかということです。

わたしの両親は昔の人間のせいか(あるいはなんでも自分でやってこられた人間のせいか)、妹に対して、適切な手を差し伸べるという接しかたがむずかしいようでした。心情的に寄りそっておらず、将来を見越したアドバイスはしていませんでした。お金だけは残しておけば、あとはなんとかなるとかんがえていました。


たとえお金があっても、困ったときにすぐに支援が受けられるわけではありません。支援を受けるためには、各方面への説明が必要です。

両親はそのようなかんがえを巡らせることができませんでした(昭和の時代は現在のような支援がなかったからかもしれません。その意識のまま高齢になっているようです)発達障害についての知識もありませんでした。

わたしも実家に電話をするたびに、「大丈夫?」と聞いていましたが、返ってくる答えは決まって、「大丈夫、大丈夫、なんとかなるから」でした。今からおもえば、もう少し積極的にかかわったほうがよかったとおもっています(でも頑固な性格なので、遠隔ではできることは少なかったとおもいますが…)

 

同居する家族が、毎日他者と接点を持たない生活をつづけ、どうやっても変わってくれない様子を見ていると、“ずっとこのままではないか“、“いつになったら外に出てくれるのだろう“と不安になってしまいます。

でもこちらが明るく接し、アクションを起こしているといつか必ず変化するときがきます。外に出ないままの本人も、具体的にどうすればいいのか苦しんでいる場合が多いようです。そのことを理解し受け止め、行動にして表すことが大切だとおもっています。外部の支援を求めるのもいいとおもいます。

 

理性や理屈に訴えても、心に響かないかもしれません。そういうときは、相手の霊性に訴えるのです。

どんな人間も、幼児のころは、外界からの刺激に対して反応します(病気や特質によってはそれが弱いかもしれません)親や周りのひとに笑いかけていたころの子どもがその子の本質だと信じてください。


スピリチュアリズムでは、人間の本質は霊(魂)であり、霊はその性質上じっとしていられない、と教えています。つまり、人間は本来活動的な存在なのです。なんらかの理由(そのひとの置かれた環境や持って生まれたカルマなど)で活動が制限されているだけなのです。

ですから、周囲の者は、そのひとが自分で自分を変えていく手助けをしてあげる必要があります(周りのひとにとっても、自分の成長につながります)


守護霊や霊界側は、地上人がどのように行動するのかを、じっと見守っています。

現世で起こる問題は地上人自らが解決していかなければなりません。

身近な問題を先送りせず、自分自身の課題として取り組みつづければ、折につけ霊界からのインスピレーションを受けることができ、必ずよい変化に結びつくとおもっています。