霊的真理とともに歩む

──真のスピリチュアリズム普及のために

信仰について‹2›  ──信仰実践としてのスピリチュアリズム

スピリチュアリズムに出会って数年が経ち、ようやく”自分はまがりなりにもスピリチュアリストである”という自覚を持てるようになってきました。

そして、霊界の道具として、イエス率いるスピリチュアリズムの本流を地上に広めることに人生を捧げようと決意することができるようになりました。

 

すべて、これまでの困難をなんとか乗り越えてこられたからゆえの境地です。

あのとき、シルバーバーチの霊訓と普及会の思想体系にすがり、がんばって耐えて本当によかったと、おもっています。

自分を鍛えてくれた苦しみに心から感謝しています。

(もちろん現在も苦しみの甘受という真理の実践はつづいています)

 

 

スピリチュアリズム普及会のサイトには、インフォメーションがほぼ二ヶ月ごとに発表されています。

5月の内容は、真のスピリチュアリズムの確立についてでした。

 

インフォメーション No.48

https://spiritualism.jp/information/2023/info-048.html

 “古いスピリチュアリズム”から“新しいスピリチュアリズム”へ、そして「真のスピリチュアリズム」へ(スピリチュアリズムの進化の3段階)――イエスの地上再臨にともなう、「真のスピリチュアリズム」の確立

 

 

そのなかで、真のスピリチュアリズムに至る条件の一つとして、「イエスが地上再臨のために準備した『シルバーバーチの霊訓』と普及会が作りあげた“思想体系”を、正しく理解し、正しく実践する」ということが挙げられています。

 

つまり、スピリチュアリストには霊的真理の「正しい実践」が絶対に必要であるということです。

今回は、「真理の正しい実践」についてかんがえてみたいとおもいます。

 

日本は世界でもまれな『シルバーバーチの霊訓』の書籍が容易に手に入る国です。

シルバーバーチの霊訓』が三十年以上にわたって読まれ続けていて、スピリチュアリズムといえば『シルバーバーチの霊訓』という認識が定着しています。

 

一方、『シルバーバーチの霊訓』が降ろされたイギリスでは、そうではないようです。

イギリスというお国柄もあってか、心霊現象やリーディングに今も関心が高く、“心霊主義“の名の通り、霊の存在を信じてその言葉を受け入れることがスピリチュアリズムという風潮が濃厚のようです。

それは、インフォメーションで述べている「古いスピリチュアリズム」に他なりません。

 

日本でも、『シルバーバーチの霊訓』は知っていても、いまだに、亡くなった人の言葉や思いを知りたいとリーディングにこだわっていたり、心身の苦しみを取り除きたい一心でヒーリングに意識が向いている人もいます。

厳しいことですが、リーディングや身体へのヒーリングは、スピリチュアリズムの入り口に過ぎません。そこで留まっていては、先に進めなくなってしまいます。

 

シルバーバーチの霊訓』を知った以上(霊的知識を得た以上)、わたしたちにはその知識を実生活でいかすという責任が課せられます。

責任を果たせないままであれば、いつまでも苦しみがついてまわるということなのです(現在、“まだ苦しいまま“の状態であれば、生き方、考え方が摂理に反している証拠なのかもしれません)

 

 

シルバーバーチは、その霊言の中で、行為(実践)こそが重要であると繰り返し述べています。(この点を明確にしているのが、スピリチュアリズムの思想体系Ⅲです)

 

なぜ真理の実践がわたしたちにとって大切なのでしょうか。

それは、実践が神の造った摂理に沿ったものだからです。

 

摂理が宇宙の隅々にまで浸透しているからこそ、宇宙万物は存在することができ、生命体は生きていくことができます。

わたしたち人間にも摂理が働いていますが、自由意志が与えられていることによって、摂理に沿った生き方もできるし、条件付きではありますが反した生き方もできます(摂理の範囲内における“反した生き方“という意味)

 

人間が機械を作るときも、目的通りに動き、作用させるために、設計、製造しますが、それとまったく同じことが、宇宙に存在する全存在物と全生命体にも当てはまります。

神の摂理(システム)に沿えば、わたしたちは幸せを手にすることができます。しかし、自由意志を誤って用い、摂理に反してしまえば、自分自身を貶めてしまうことになります。

 

 

宇宙の隅々にまで神が偏在し、神が全宇宙を包摂し、神の摂理が運行を司っている。

このことを、理性と自由意志を使い受け入れ、信じることが、正しい信仰です。

そして、正しい信仰のもとで、摂理に沿った生き方をしていくことが、正しい実践なのです。

「正しい実践」とは、つまり、「正しい信仰実践」ということになります。

 

実践なくして、わたしたちの救いはありません。

何事もやりかたを知っていても実行しなければ身につかないのとおなじように、信仰があっても信仰実践をしていかなければ、真の幸福には至れません。

 

それどころか、真理を知っていただけのままで死後霊界(幽界)に行けば、実践していなかったという現実に直面し、大変な後悔と苦しみが生じてしまいます。

シルバーバーチは、知識には大きな責任が伴う、と述べています。

知識があり能力があるということは、それを日常生活のなかで活かしていく責任があるのです。

 

 

わたしは最近、その責任の重さをひしひしとかんじました。

家事や自分に課せられたことをこなして時間に追われていると、時間が瞬く間に経ってしまい、夕方になると焦りを覚えることがあります。

地上で生活している以上、物的なことを疎かにはできないのですが、体調がよくないときなど、仕事を果たすのが精一杯で、真理の学びもままなりません。

常に高い心境を保つことは、本当にむずかしいと実感します。

 

しかし、そのようなときこそ、奮闘努力が求められるのだと自分を叱咤激励し、霊訓を読んだり、無理のない程度に身体を動かして身辺を整えています。

 

たとえ地上の人間には見られていなくても、わたしの思念、行動のすべては霊界の人たちには知られています。

どこまで信仰実践ができているか、神と霊界の方々には、丸わかりです。

 

奮闘努力を諦めず、より摂理に沿った信仰実践を重ねるべく、これからも励んでいきたいとおもいます。