霊的真理とともに歩む

──真のスピリチュアリズム普及のために

信仰について‹1›  ──知識を土台とした信仰を

信仰というと、一般的には、特定の宗教(自然宗教を含む)を信じていることをいいます。

日本人ならば神仏を拝みその加護を信じることが信心ですし、キリスト教徒なら、教会に通い神とイエスに祈ったり、聖職者の説教を聞き受け入れることが信仰だといえるでしょう。


では、スピリチュアリズムにおいて、信仰とはどういう心情を指すのでしょうか。


スピリチュアリズムを日本語に訳すと“心霊主義“になります。

スピリチュアリズムはいわゆる“信仰“ではないと一般的には考えられていて、思想・哲学の一種とみなされています。

この世での生き方、この世のあるべき姿とは直接関係ないという風潮もあります。


しかし、スピリチュアリズムの本質を深く探っていくと、スピリチュアリズムはまぎれもない信仰であることがわかります。


スピリチュアリズムにおける信仰とは、神と神の造った摂理を信じることです。

わたしたちの本当の親(霊的親)である神(大霊)の存在と、その意思と愛が全宇宙に満ちていることを信じ、神が全宇宙とそこに存在するものすべての営みを摂理を通して在らしめていることを確信することが、スピリチュアリズムにおける信仰です。


(わたしたち人間の本体・本質は“霊“です。その霊を生み出した存在が神ですから、わたしたちの本当の親は神、ということになります)

 

 

このように、従来の宗教においても、スピリチュアリズムにおいても、信仰は存在します。

となると、問題は、両者の信仰に、どんなちがいがあるのか、という点です。


スピリチュアリズムを知らない人からみると、あまりちがいはないのではないかとおもわれるかもしれません。

目に見えないものを信じるのだから、一緒だろうとおもっても不思議はありません。


しかし、両者のあいだには決定的なちがいが存在します。

それは、その信仰を受け入れるか受け入れないのか、疑いをもっていいのかどうか、ということです。


従来の宗教は、“盲信“です。

「自分たちの宗教を信じれば必ず救われるから、疑うことなく信じなさい」

伝統宗教であっても新興宗教であっても、既存の宗教(地上人が作り出した宗教)は、わたしたちに対して、こう迫ってきます。

自分たちの教えの正しさ、優位さを示し、自分たちの宗教こそが本物であると言ってきます。

そして、教線拡大を狙って、布教活動を展開しています。”ご利益”を宣伝して、金銭やお布施を要求してくるところもあります。

宗教を信じたりかかわったりしてきた人には、納得していただけるとおもいます。


既存の宗教のそのような姿勢に対し、スピリチュアリズムは、正反対の立場を取っています。まったく逆のことをわたしたちに伝えてきます。


「あなたがたの理性を使い、十分に吟味してください。信じる信じないはあなたがたの自由です。受け入れられる人だけ信じればよろしい」


わたしたちが持っている理性と自由意志は、親なる神が与えてくださった、なによりも大切な宝です。


神(大霊)は、わたしたちに自由意志を与え、神の摂理に沿った生き方をするもよし、反した生き方をするもよし、と選択の自由を授けてくれました。

現に、わたしたちはそれを行使できています。霊性によって自由が行使できる範囲はかぎられますが、決して操り人形ではありません。


人間にとって自由意志を奪われることほど苦しいことはありません。

物事を強制されると、たちまち心身に不調が出ます。


信仰も同じなのです。

盲信することを強制される信仰は、わたしたちの魂に目隠しをし、長い時間にわたって苦しみを発生させます。

ときには霊界まで持ち越し、地上時代の信仰から抜け出せなくなるという事態も生じます。


信仰は、決して強制されるものではありません。

人間の理性と自由意志を適切に使って、受け入れられるものから受け入れていくべきなのです。

 

「ですから、わたしが申し上げていることに賛成してくださらなくても、あるいはわたしが間違っている──とんでもないことを言うヤツだと、思われても一向にかまわないのです。わたしはわたしの見てきたままの真理を申し上げているだけです(中略)わたしの申し上げることがしっくりこないという方に押しつける気持ちは毛頭ありません(中略)わたしが獲得した知識のすべて、叡智のすべてを、受け入れてくださる方の足もとに置いてさしあげるだけです」(『地上人類への最高の福音』)

 

シルバーバーチの霊訓に出会い、感動を覚えても、シルバーバーチの言葉を無条件で信じるならば、これまでの宗教とおなじ盲信になってしまいます。

霊的真理は多岐にわたり、簡単な真理から深い理解を要する真理まで、レベルはさまざまです。

わたしたちは、日常生活で真理を実感しながら、理解を深めていくようになっています。

それにともなって、得られる知識も増え、さらに経験を積みながら理解の実感度が高まる…そのような歩みを自由意志で行なっていきます。


自分自身の選択で知識を獲得していけば、それが信仰の土台となります。

その揺るぎない土台が、神と神の造った摂理に対する信仰を生んでいくとかんがえています。


スピリチュアリズムに出会ってまもないときは、まず、「これは本物だ!」とおもえる霊的真理を見つけてみてください。

シルバーバーチの霊訓』やスピリチュアリズム普及会がまとめあげたスピリチュアリズムの思想体系(I〜Ⅲ)を繰り返し読んでいけば、かならずいまの自分にいちばんフィットする霊的真理があるはずです。

理性を使い、本当に正しいのかどうか、自分自身で判断することが大切だとおもっています。