霊的真理とともに歩む

──真のスピリチュアリズム普及のために

日本の文化・宗教とスピリチュアリズム

統一教会が、日本人から金銭を巻き上げる手段として、先祖があの世で苦しんでいる(それが献金することによって救われる)と信者に信じこませたことは、有名な話です(霊感商法


それは、日本人や東アジアに広くある先祖崇拝や先祖信仰がなければ、生まれてこない観念です。


今回は、日本人の心に二千年以上にわたって流れている、アニミズムシャーマニズムについてかんがえてみたいとおもいます。

 


どの民族、どの国も、自分たちの文化、風習、宗教を持っています。

一般的に都会から離れるほどその色が濃く現れますが、都会に住んでいても根深いところでは、民族の文化風習が依然として人間を支配しており、無意識のうちにわたしたちの物の見かたや考えかたを左右しています。


日本人はよく自分たちのことを、無宗教だと言いますが、決してそうではありません。

イスラム教のモスクには何の関心も示さない人であっても、伊勢神宮明治神宮などの、大きな神域を持ち、隅々まで掃き清められた境内や社には、普通以上の清らかさを感じる人が多いとおもいます。

それは、そこに、物的なものを超える清浄さを見ているからであり、宗教的な感覚があるからこそ、生まれてくるものだといえます。

(よく、神道などの自然宗教は、宗教ではないというひとがいますが、宗教とは、一神教に限らず、特定のもの、人、あるいは自然物を信じるという心情から出ているものであり、やはり宗教の一つとかんがえられます)


多くの日本人は、正月には神社仏閣に参り、願い事をしています。

詣でて神仏に手を合わせることで、ご利益があると信じているからに他なりません。


自然物や神仏に対する畏敬の念が、日本人の心の底にあるともいえるでしょう。

そのようなものに縋り、その力を自分のものとしたいとかんがえているのです。

 

先祖崇拝も、いわゆる“先祖の祟り“として、日本人の心によく浮上する観念です。


今の自分があるのは先祖がいてくれるからだ、先祖のおかげ、墓や仏壇を粗末にしてはいけない、という意識は、高齢者を中心に今でも一般的にみられるものです。


そのような意識が土壌になっているため、自分に不幸や病気などが降りかかっているとき、先祖が苦しんでいるからだと霊能者などに言われると、そうなのかもしれないとおもうようになります。

先祖崇拝という精神的土壌がなければ、生じない不安なのです。


https://times.abema.tv/articles/-/10031202

この記事によると、日本人(東アジア人)がよく陥りやすいとあります。

日本には先祖や水子の霊、祟りといったレトリックに弱いという、霊感商法が流行る土壌がある。私は元“霊能師”役の人にインタビューをしたことがあるが、信者でない人に霊言を説くのは、一緒の演技であるという。私がアメリカの国際学会でこの話をした時に、“信じられない。日本人はfoolじゃないか”と言われたが、アメリカではこのレトリックはまったく通用しないようだ

 

(欧米人はこのレトリックに騙される日本人を軽蔑しますが、その欧米人自身は、キリスト教に幼い頃から馴染んでいるので、原罪や選民思想という間違いに左右されています。人間の始祖が罪を犯したためにその子孫である現世人類は皆罪人であるという観念は、理性的にかんがえてまったくのでたらめだと、日本人ならわかります)

 

先祖崇拝のほかにも、遠い先祖を神として祀ることも一般的に行われてきました。

(豪族の祖先神など)

仏教が葬式仏教などと呼ばれて久しくなっていますが、本来先祖信仰とは無縁だった仏教が中国に伝えられた段階で、儒教的な要素が追加され、それが日本に伝わり、今日のような儀礼中心の仏教が確立されていったとかんがえられます。

(中国仏教と日本の先祖信仰が非常に相性がよかったといえます)

 

このように、日本人が育んできた精神的土壌は、古代社会に広くみられるシャーマニズムアニミズムであるということができます。


霊感商法がダメなのはともかく、先祖信仰(先祖を大切にする心)、歴史的な神社仏閣などの建造物保存への思い、山岳を対象とする信仰などは、広く日本人の心に浸透し、文化として定着しています。

このような現状を、わたしたちはどうとらえていくべきでしょうか。

スピリチュアリストとしてどのように扱っていくべきなのか、これから日本にスピリチュアリズムが広がっていくとき、どう答えたらいいのでしょうか。

 

霊的真理に照らしてとらえる

この世のものごとをとらえるとき、もっとも大切なことは、霊的視点からみるということです。

これは、スピリチュアリストでなくても、誰にとっても重要な視点です。

地上的、この世的なものの見方は、とても狭くて、本質や問題を的確に把握できないからです。


霊的にみて、もっとも排除すべきなのは、まちがった信仰です。

人間が自分たちの都合のいいようにつくった人工的な教えで、有害以外の何ものでもありません。


そのなかでまず筆頭に挙げられるのが、

・先祖の祟り、神仏の罰(ばち)、原罪

ではないでしょうか。

死んだ人間が子孫に救って欲しくて祟ったり、悪いことをすると神仏のバチがあたるなどの俗信は、霊的真理にはありません。


今苦しみが発生しているのは、ほかならぬ自分の行為の結果であり、因果律という摂理が働いたためなのです。

(低級霊が何もわからない地上人をからかうときに、霊媒を通して“先祖の祟り“などということはあるそうです。しかし、それもからかわれた地上人にも原因があるといえます)


因果律で、摂理に反した行為の責任を苦しみという形で償うことになりますが、それは、神が懲らしめてやろうとおもってそのような摂理を設けたのではなく、下がった霊性をもとにもどすために必要なものなのです。人間が懲らしめとかんじるその奥には、人間を愛する神の切なる思いがあるのです。


人間を恐怖で洗脳したり、理性を失わせ無条件で従わせる教えや風習は、たとえ長く伝えられてきた“文化“ではあっても、なくさなくてはならないものです。

 

 

次に、かんがえられるのが、

・物や人を信仰対象とすること

です。


日本人は、古代から、自然物に畏敬の念をかんじ、信仰の対象としてきました。

山岳信仰は、現代でも根強く残っている文化といえます。


雄大な山々、人間を圧倒するような巨岩などを目の当たりにすると、だれもが畏れにも似た感情を抱きます。

古代人はそこに神が宿っているとかんがえました。

そして、自然物を御神体とし、神として祀りはじめたのです。


それは、まだ人間が霊的に未熟な時代であれば、それなりに人々を結びつける場所となったでしょう。

古代には霊能者はシャーマンとして、集団の中心にいました。

霊能のない普通の人は、特別な能力を持ったシャーマンを敬っていたとおもわれます。そして、シャーマンが死ねば、神として祀られることもあったでしょう。


感嘆するような自然は、神の造化の見事さを表しています。

霊能力も、摂理によって神から与えられた能力です。


しかし、それらは神そのものではありません。


現代人は、地球、宇宙が人間と比べて、とてつもなく大きなものだと知識として知っています。

それを創造した存在が、日本のごく一部にしかすぎない山や、一人の人間と同一であるはずがありません。


人間が信仰対象とすべきなのは、全宇宙を創造した唯一の神です。


古代から大切にされてきた文化、風習であるからといって、霊的にも精神的にも格段に成長しているわたしたちが、昔とおなじ信仰を持っていてはおかしいとおもうのです。


ですから、おもいきって古い信仰から抜け出し、より真理に沿った信仰になるよう、努めていきましょう。


人間を大きくしたような神は、存在しません。

神とは、全宇宙よりも大きな存在であり、すべてを創造した偉大なる知性であり、全創造物を存在ならしめているエネルギーの根源であり、全創造物が調和をもって存在できるよう仕組み(摂理)をつくった大きな霊(大霊)です。


今は、人間の能力をちょっとでも超えると、“神“といって比喩的に使うことがありますが、本当の神とは、そんなちっぽけな存在ではありません。

人間の想像をはるかに超えたものなのです。


ただ、残念ながら、肉体を持っている(霊的に鈍くなっている)地上人は、神を実感することはできません。しかし、死んで肉体を捨て去って、霊界に入れば、実在としての神をありありと認識することができるのだそうです。

そうなる日を楽しみに待ち、現段階で示されている神の姿を深く理解していきたいとおもっています。

 


以上、スピリチュアリストとして、日本の文化・宗教、風習などをどうとらえていけばいいのか、述べてみました。

文化風習は、精神的な遺伝ともいうべきもので、わたしたちの心の奥底に流れていますが、霊的視点からみて、今の時代にそぐわず、霊的真理から外れたものは、潔く捨て去る必要があるとおもいます。


文化風習は、往々にして、既得権益と結びついていて、金銭が絡むものも少なくありません。

わたしたちは、“霊的成長にプラスになるかどうか“、“本当にその人の役に立つものであるかどうか“、理性でもって判断していくことが大切だとおもいます。

 


https://spiritualism.jp/newsletter/2003/nl-21/nl-21-2-1.html

スピリチュアリズム・ニューズレター 「先祖供養という宗教的習慣は、どのようにして成立したか」)


https://spiritualism.jp/spiritualism/thought2/th2-1/

スピリチュアリズムの思想II 神について)