霊的真理とともに歩む

──真のスピリチュアリズム普及のために

苦しみに耐えることについて

ことしの夏は例年以上の暑さでした。体調管理に大変だったかたも多いのではないでしょうか。八月下旬からは夏バテからの体調不良も起こりやすく、わたしもいつもの年以上に苦労しています。


夏の不調は、暑さにくわえて湿度も関係してきますが、その点でも日本の夏は不快指数が高く、近年ますます過酷になってきているようにおもわれます。


肉体を持っているわたしたちは、身体が痛かったり苦しかったりすると、それでもう、気力が減退し通常の活動がしにくくなってしまいます。

それは、スピリチュアリストであろうがなかろうが、神の造った摂理に従って生じることのため、霊主肉従の大変さを嫌というほどおもいしらされます。


わたしもこの1週間ばかり、夏の疲れが出たようで、自律神経の乱れからくる、のぼせや睡眠障害に悩まされました。霊的真理を知っているにもかかわらず、なんとかこの苦しみから逃れられないものかと気分が落ちこみました。


これまでの経験から霊的実践の大切さを実感しているのに、肉体を持つ苦しさに翻弄され、霊主肉従を保つことがむずかしくなりました。元気なひとを見ては、なぜ自分は辛いのかとうらやむ気持ちが芽生えたり、過去の運動不足を嘆いたりとマイナスの感情をつい持ってしまいました。その度に、はっと気づいて、なんと情けないことかと嘆く日々でした。

 

 

霊的実践のひとつに、苦しみの甘受があります。肉体をともなっている霊である地上人は宿命的に苦しみを経験するようになっています。

それは、地上人の理解がおよばないところの神の愛であって、霊的成長を成すための試練なのです(肉体という厚い壁のために霊的視点からかんがえられなくなっているのです)


一般的に、苦しみに耐えている、といえば、苦しみを我慢しているという状況です。多くのひとは、それはあえて自らを苦しみのなかに置いているだけではないかと、おもっています。

昔の行者ならともかく、現代においてそんなことをするのは、ただのマゾヒズムであるとかんがえるひともいるようで、スピリチュアリズムの苦しみへの対処の仕方を軽蔑しているような感もあります。


しかし、苦しみに耐えそれを甘んじて受け入れることそのものには、確たる目的があります。単に耐えることを目的にしているわけではありません。

この点をスピリチュアリズムをしらないかたはご存じありません。


単に耐えるだけが目的ならば、地上の宗教でもしばしば行われてきたことでした。

熱心なキリスト教徒は地上の苦しみに耐えていれば天国に行って必ず救われると教えられ、死後も地縛霊となっておなじ信仰を持つ者同士、苦しみに耐える生活をしてきました。

スピリチュアリズム普及会のインフォメーションには、そのような苦しみから救われた地縛霊の証言が多数載っていて衝撃を受けます)


しかし、スピリチュアリズムでいう、”苦しみの甘受”とはそうしたものではありません。

霊的実践において、苦しみを受け入れ耐えることは、カルマの精算という目的とともに、霊的成長の道をリセットし再出発するというその先の目的もあるのです。

 

(苦しみを受け入れるとは、医学的処置を行わないとか、トラブルに対してなにもしないということではありません。理性でかんがえ、“これが正しい“として対処することは必要なことです。地上で生じる困難にどう対処するのか、霊的視点で実践することが求められているということです)


多くの苦しみは、わたしたち自らがつくった摂理に反した行為の結果、生じています。地上に生まれてくる人間は、イエスのようなよくよくの特別なケースを除いて、大なり小なりカルマを持って生まれています(最初の地上人生の人間を除く)


わたしたちは生まれるまえに霊界で、“このカルマが霊的成長の足枷になっているから、ぜひとも地上に生まれてカルマを解消、リセットして、更なる霊的成長の道を歩みたい“と決意しました。

ですから、現在生じている苦しみの多くは、自らが課した課題であって、乗り越えることができるものなのです。


シルバーバーチは、乗り越えられない障害はない、と断言しています。

 

霊的な宝はいかなる地上の宝にも優ります。それはいったん身につけたらお金を落とすような具合になくしてしまうことは絶対にありません。苦難から何かを学び取るように努めることです。耐え切れないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません。なんらかの荷を背負い、困難と取り組むということが旅する魂の本来の姿なのです。

 

苦しんでいるあいだは、なかなか霊的視点を持ちつづけることはできませんが、挫けずに耐えていると、ふと霊的視野がひらける瞬間があります。

そのとき、自分の心のうちをじっくりとながめ、苦しみに正しく対処するよう努めれば、だんだんと気持ちが楽になってくるのを感じるでしょう。


人間の心や身体は“諸行無常“です。

このままずっと悪い状態であるはずがない、と心を強く持ち、自分で自分を救っていく姿勢が大切だとしみじみかんじています。