霊的真理とともに歩む

──真のスピリチュアリズム普及のために

高齢の親にどのように霊的真理を伝えるか

すこしまえのことになりますが、GWに二年ぶりに実家に帰省しました。

帰省の目的は、高齢の親の様子を見てくることと、同居している妹のことを会って確認してくることでした。

(妹は診断は受けていませんが、おそらく発達障害で、経済的にも自立して生活することができていません。二十年まえに交通事故に遭い、頭部に大きなダメージを負ったため、その後遺症が最近になって問題行動になって現れるようになりました)

 

二年まえに帰省したときも、すこし霊的真理を伝えてはいるのですが、今回はもっときちんと伝えなければ、とおもい、帰省に臨みました。

 

両親は二人とも80代です。

母は長年新興宗教の信者だったので、信仰に理解はありますが、父はほぼ無神論者です。死ねばそれで終わり、とおもっているようです。

 

あと十年もすれば、どちらかが幽界(霊界)入りするであろうことは確実なので、天寿を全うするまえにぜひとも霊的真理を知ってほしいと切に願って帰省しました。

 

 

伝えたことは、

・人は死んでも霊魂として生き続けること

・その人の霊性にふさわしい境遇に行くこと

・死ぬときは親しい人が迎えに来てくれること(そこで素直に死んだことを自覚できる)

・今の苦しみ、困難は自分に必要だから生じていること

・よって、死はその困難からの卒業であること(この世は期限のある学校、修養場であること)

・霊的真理を地上時代に知っておくことが死後も非常に大切になること

など、霊的真理のごく基本を説明しました。

 


母のほうはだいたい理解して受けいれてくれたとおもうのですが、父のほうはすぐには無理なようでした。

わたしも両手をあげて歓迎されるとはおもっていなかったので想定内ではあったのですが、霊的真理に縁遠かったひとに納得してもらうのは、とても難しいと実感しました。

 

 

しかし、これは、高齢者に限ったことではないようです。

なぜなら、多くの苦しみや難局を経験した人間でも、そのひとの霊性のレベルや性格が原因で、霊的真理に対して柔軟な対応ができないことが往々にしてあるからです。

 


高齢のかたでも、霊的真理に出会うと、“やっと自分の求めてきたものが得られた”とスピリチュアリストになるケースがあります。

また、そんなに困難といえる経験をしていなくても、若い時期にスピリチュアリズムに出会うひともいます。

 


わたしの両親の場合、二人とも戦中に生まれ、とくに父は幼い頃に自分の父親を亡くし、母親からは半分育児放棄されたような状態で育ち、子どものわたしから見ても苦労人であることがわかります。母のほうは経済的に豊かでこそありませんでしたが、両親が健在で仲がよくその意味では恵まれた家庭で育ちました。ただ、女であるということから自分が望む道を諦めざるを得ず、結婚して家庭に入り休みもなく働く人生を過ごしてきました。そして、現在、妹のことで問題を抱えています。

わたしから見ると、“こんなに苦労しているのだから今世で霊的真理を受け入れられて当然ではないか”とおもうほどです。

でも、現実的には、カルマの清算が精一杯のようで、霊的覚醒にまでは至っていません。

 


霊的真理を受け入れられるかどうかは、シルバーバーチのいうように、やはり“時期の来たひと“でないかぎり無理であり、“時期が来る“ということは、本当にひとそれぞれで地上的な見方では判断できないのだなと実感しました。

スピリチュアリズムの普及は、人間サイドの思惑とはあまり関係なく、霊界主導で行われるのだということだとおもいます。霊界からでないと、その人の真実がわからないからです。

 

 

そうはいっても、家族はいちばん身近な“霊的兄弟姉妹“ですから、その様子や苦しみを目の当たりにして、なんとかしてあげたい!とおもうのは、自然な感情です。

 

押しつけにならないように、伝えようとする相手の自由意志を侵害しないようにするのは、本当に難しいことです。でも親なので、つい自分の我欲がストレートに出てしまいます。

 


霊的真理は何ものにも代えがたい宝です。

世界中の物的な幸せや価値観をかき集めても、歯が立たないほどの価値を持っています。

 

それを知っている立場だからこそ、ともすれば傲慢な気持ちが湧いてきます。

それは地上のスピリチュアリストが乗り越えなければならない宿命なのかもしれません。

 

 

霊的真理の伝道は茨の道、とシルバーバーチもおっしゃっていたように記憶しています。

まずは、自分のなかにある“茨の道“を克服していくことが大切だと教わったようにおもいます。

 

 

https://spiritualism.jp/newsletter/1999/nl-07/nl-07-3.html

普及会のニューズレターに、配偶者の不理解について書かれたものがありました。

親や兄弟など血縁者でも通じるものがあります。

このページをよく読んで、自分の務めを果たしたいとおもっています。