霊的真理とともに歩む

──真のスピリチュアリズム普及のために

人は変わることができる

ここ二週間のあいだで、自分のかんがえが大きく変わることがありました。


きっかけは、大学入試共通テストが実施される日、名古屋の男子高校生が東京大学まえで無差別に人を切りつけた事件でした。

その高校生が名門校に在籍し、非常に優秀であること、東大の医学部を目指し医師を志していたこと、などが報道されました。


社会一般には、医師は高収入で生活には困ることがない、とおもわれている面があり、医師の子どもが医師になるのも当然とする風潮があります。


以下、事件そのものについては、ほとんど関係がありません。

“優秀だから医師を志望する、医師になる“といった、多くのひとが抱いている一般的なイメージ、観念について述べています。

 

 

医師になるには、高い学力が必要とされます。

人間の身体を診るのですから、膨大な知識と豊かな知力がいるのは当然です。

ただ、医師のなかには、人をおもいやる人間性に欠けた医師、あるいはそれが表面に出てこない医師がいるのも現実です(医師といえども人間なので、この点については、他の職業とほとんど変わりがないのだということになります)


一方、診てもらう側としては、やはり医師におもいやりも求めてしまいます。

つらいときだからこそ、優しく寄り添ってほしいとおもいます。

そのために、医師に人間性あふれる性質を期待してしまうのであり、“優秀だからという理由だけで医師になってほしくない“とおもいます。わたしも、事件のまえは、なんの疑問もなくそうかんがえていました。

 

 

わたしの高校時代の同級生に、とても勉強のよくできる男子生徒がいました。

ほとんど話したことはないのですが、周囲は“学年で一番のひとらしい“と噂していました。

ただ、一言でいうなら“理性的“、“冷めている“という雰囲気で、活発にひととコミュニケーションを取るタイプではありませんでした。


その同級生は、卒業後医学部に入り、医師になりました。

医師になったことは、人伝てに聞き、様子をたずねたところ、あまり高校時代と変わらない人との接し方であったようでした。

わたしは、“やっぱり医師というより科学者向きかも“などと、勝手なイメージを持ちました。


それから十数年が過ぎ、先日の事件のこともあって、ふと医師になった同級生のことをおもいだしました。

そして、子ども(成人しています)に、これこれこういうひとが同級生にいた、と伝えたところ、なにをおもったのか、苗字とわたしの出身県で検索して、当の同級生を見つけだしました。


一目見ただけで、当人とわかりました。

県内でも有名な大きな病院に勤務していました。


しかし、わたしがおどろいたのは、その風貌の変わりようです。

面影こそありますが、高校時代とはまったくちがい、穏やかな頼れる先生、といった雰囲気になっていました。目が格段に優しげなのです(シルバーバーチは、人の霊性は目に表れると言っていますが、それは多くのひとが実感している感覚と一致します)


高校卒業から数十年が経ち、その後の医師としての人生で、内面が大きく変化し、それが顔つきにも表れたのだとおもいました。

直接話したわけでもないのに、そのように感じるのは不敬かもしれませんが、直感的にそうおもいました。


そして、いままで抱いていた、“学力は高いけれども人間性に欠ける(欠けたように見える)ひと“に一方的なイメージを持っていることを、深く反省しました。

 

 

人間は誰一人の例外もなく、神の分霊を宿しています。

どんなに冷たく見えるひとでも、暖かい心、優しさ、良心を魂の奥に秘めています。

地上人生は、魂の奥にあるその神性を自分で見つけ、表に出し、他者に奉仕することが目的です。


進化の歩みがひとそれぞれまったくちがうので、神性が容易に出やすいひとと、出にくいひとがいます。でも、どうやって地上生活を生きるのかは、そのひと自身にかかっています。

わたしの同級生は、見事、その課題をこなしてきたのだとかんじました。

 

守護霊は、地上人の霊的進化をサポートするべく、母体に受胎した瞬間から、わたしたちを見守ってくれています。

“頭がよくて医者になる素質がある“のであれば、そのように導いてくれます。

なので、きっかけが“高い学力“でも、問題がないのです。

大切なのは、自分の資質をどういかすか、なのです。

 


医師として地域医療に多大な貢献をしている同級生の姿は、何事も、物的視点だけでみてはいけない、常に霊的視点でとらえるべき、という霊的真理の正しさをあらためて教えてくれました。


新型コロナ流行で、もしかしたら困難に直面しているかもしれません。

目に見えない世界は信じていないかもしれませんが、霊界から霊力が与えられ、ひとときの安らぎが得られるよう祈っています。

奮闘するその姿を想像しながら、わたしも、自分に課せられた仕事、霊的修行を怠らないよう、努力しようと決意しています。