霊的真理とともに歩む

──真のスピリチュアリズム普及のために

真理の実践

シルバーバーチの霊訓に出会い、霊的真理の重要性を理解し、スピリットヒーリングを受けて霊界の存在を確信したとしても、真理の実践は安易(やすやす)とは進みません。

最近、それをとくに実感しました。

 

わたし自身の体質が天候に左右されやすいこともあり、季節の変わり目は体調のコントルールがうまくいきません。

くわえて、離れて暮らす家族のことが心労になり、またしても自分の不安との戦いがはじまってしまいました。

 

シルバーバーチは、霊的進化のためには苦しみがぜひとも必要だと述べています。

スピリチュアリズムを知ったからには、それが真実だと理解しているのですが、いざ大きな困難に見舞われると、つい物的身体の重さに耐えかねてネガティブな感情を持ってしまいます。

 

これまで何度か同じような困難に遭い、そのたびに霊的真理にすがって乗り越えてきましたが、また似たような堂々巡りの心配に襲われて、進歩がないなと自嘲気味でした(~_~;)

 

今回も、これまで読んで感動した霊訓の一節をくりかえし読んだり、スピリチュアリズム普及会のサイトを再度熟読し、なんとか乗り越えました。

 

シルバーバーチは、霊的進化は螺旋階段のようにあがっていくもの、と言っていたと記憶しています。三歩進んで二歩下がるような一歩一歩のあゆみです。

ただ苦しみのさなかにいるときは、二歩進んで三歩下がっているような感覚で、本当にこの苦しみが進歩になっているのか、確信が持てませんでした。

もちろんシルバーバーチの霊訓を疑っているわけではないのですが、霊的感覚があまりにもないためにどうしても物的視点になりがちです。

かくも肉体とは重いものかと、思いしりました。

 

そんななかでも、あの高級霊のかたがたでさえも、きっとこの苦しみを克服してこられたのだ、乗り越えられない試練は絶対にない、試練が起こった時点で乗り越えることが神によって保証されている、と何度も何度も自分に言い聞かせました。

スピリチュアリストの末端にいる者として、苦しみを甘んじて受けよう、霊的真理を実践するチャンスだ、と前向きにとらえようとしました。

 

そうやっていると、一日のなかでも浮き沈みがあることがわかりました。

霊的に上向いたかとおもうと、時間とともに地上的な価値観がのしかかり、気分が沈みます。なかなか、心の底からありがたいとおもうことができません。

本当に、自分の心とはこんなにもままならないものかとおもいました。

 

性格的に、とかく取り越し苦労の多いたちなので、自己を律するが大変です。

 

まだ状況が完全によくなったわけではないのですが、そうやって三週間近くを過ごしました。

いま現在は、心の支(つか)えがひとつなくなったことで、少しほっとしています。(ずっと坂道ばかりではありません。神様は踊り場で一息つけるよう計らってくださるのだとおもわれます)

 

ただ、困難が過ぎ去ってみると、衷心からの祈りというのは、苦しみを抱えているときこそできるものだというのがわかりました。

心配ごとがなく心が晴れやかなときは、強く意識して霊的視点を保たないと、肉体も重さゆえに物的視点になりがちなのです。

悩みごとがありながらも、一点の曇りもなくあかるく上を向いていければ理想だとおもいます^^;

本当にむずかしいのですが、苦しみを苦しみと感じない境地をめざして、平穏なときこそ自分を高める努力をしていきたいとおもっています。