霊的真理とともに歩む

──真のスピリチュアリズム普及のために

自殺について

日本では、自殺をする人が交通事故死の4倍以上だそうです。

去年、乗ろうとしていた電車で人身事故が起きました。
ホームに降りるべく階段を降りようとしたとき、ものすごい警笛が聞こえて列車が急停車しました。
すぐに駅員のかたがブルーシートを持ってホームに走っていかれました。
はじめて間近で出会った光景だったので、衝撃的でした。

 

首都圏では、日々、どこかの路線で人身事故が起きていて、多くの人が慣れっこになっている状態です。

このような状況だと、家族や親戚に自殺したひとがいるかたも多いのではないでしょうか。
ずいぶん昔になりましたが、わたしもその一人です。

 

ひとたび遺族になると、普段と変わりない生活を送っていても、命を絶った身近な人のことが常に頭にあり、心が休まらないことでしょう。
本当に、つらいことだとおもいます。

 

自殺はいけない。 もちろん誰もがわかっていることです。
誰しも、死にたくて生きてはいないでしょう。
生き物として生まれたからには、本能的に生存欲求があります。
また、霊的に見ても、自ら命を経つことはいけないことだと直感しているはずです(だからこそ、個人にも社会にも、自殺に対して大きな葛藤があるのだといえます)

 

殺人や自殺はなぜいけないのか 養老先生の回答 | デイリー新潮

この記事には、なぜ自殺がいけないのか養老孟司さんの見解が書かれていますが、要点をまとめると、次の二点になります。

1. 人間をつくることができないから、人間を殺す(自殺も含む)ことはいけないことだ

2. 自殺をすると、家族や周囲に多大な負の影響を与えてしまうから、やってはいけない

 

理屈では養老さんの言う通りだとおもいます。
でも、自殺するひとにどれだけ響くのか、とかんがえると心許ない気がします。
きっと、もっともらしい理由をつきつけてくる相手に絶望するとおもいます。
自殺念慮のあるひとは「あなたにはこの苦しみがわからない」という意識に支配されていて、視野が狭くなっており、精神的なエネルギーが枯渇しています。
そういう状態のひとに、理性的な説得はなかなか困難です。
そして、おそらく衝動的に行動に出てしまうのだとおもいます。

 

叔父が亡くなったのはわたしが中学生のときでした。

本人が自殺したあとの家族の混乱を目の当たりにしました。
みなが動揺して、苦悩している様子は今でもはっきり覚えています。
病気などの死とは全く別の重苦しい空気でした。

 

そんなわたしでさえ、苦しいときは、死んで楽になれるものならなりたい、とおもいました(心労からのストレスで眠れない日がつづいたときなどです)
自分が死んできっと家族は悲しむだろうが、それは、家事などをやってくれる(便利な)人間がいなくなるに過ぎないからではないか、などと、おもったりしました。
極端な話になりますが、自分を尊重するのであれば(愛してくれるのであれば)、この死にたいという気持ちを尊重して、好きにさせてくれ、と投げやりにも似た気持ちも生まれてきます。
落ち着いた今かんがえても尋常ではない思考に陥っていました。

 

どうやったら自殺するひとが減るのか、一時(いっとき)でも死にたい(いなくなりたい、楽になりたい)とおもった経験のあるわたしは、常に模索しています。

 

まず、多くのひとに知ってもらいたいのが、霊的な事実です。
「死んだら無になる」
こうおもっているからこそ、死ねば楽になる、とおもうのです。

しかし、生命を持って生まれた以上、身体はなくなっても精神、霊は生き続けます。そして、必ず後悔します。(霊的な話で、自殺したひとが現場を彷徨っている話、自殺念慮のあるひとに憑依してしまう話は、個別なケース云々はともかく、一般的なこととして事実だとおもわれます)

自殺するひとをこれ以上増やさないために、「自ら死を選ぶと、もっと苦しい状況になってしまう」ということを一刻も早く社会に広めなければなりません。

 

シルバーバーチは、ごく少ない例外を除けば、自殺は絶対にいけないことだ、と述べています。生まれるまえに、自分で決めた課題を途中で投げ出すことは、神との約束を破ることになる、過ちを犯すと取り返しがつかなくなり(生き返ることは不可能)、因果律自然法則)によってさらなる苦しみを負うことになる、と忠告しています。

 

苦しい状態がつづくと、一刻も早く逃れたいとおもってしまいます。
でも、どうにかして耐えて、一日、一日を生きることが大切です。
自分にできることを何かやってみる、歯を食いしばってでも日常生活は送る、など、必ずできることがあります。
そのような取り組みを、神や守護霊は見守ってくれています。
そして、一皮一皮むけるように、状況はよくなっていきます(経験者なので断言できます)
そして、気がついたら、「死にたい」という気持ちから抜け出している自分になっています。

 

霊的なことが受け入れないかたであれば、死にたいとおもっていたけれども抜け出せたひとの体験談を読むのもいいとおもいます。
ネットにはよく、成功したひとの苦労話が掲載されていて、その中には、自殺を図ってさいわいにも未遂になり、立ち直ったかたのものもあったりします。

 

苦しい時間は、永遠にはつづきません。
短いひともいれば、長いひともいて、一概に、すぐによくなると気休めは言えませんが、変化は必ずあります。
そして、乗り越えてみると、苦しかったときがあったからこそ、今の自分がある、とおもえるようになります。

シルバーバーチは、あとから振り返ってみると、苦難や苦しみこそが自分を成長させてくれたとして神に感謝するようになります、と言っています。

その言葉にすがり、地上人生を全うすることが、わたしたちに与えられた課題なのです。