霊的真理とともに歩む

──真のスピリチュアリズム普及のために

完全な公平性

スピリチュアリズムを知るまえは、この世の中は不公平に満ちているとおもっていました。

 

日本のような平和な国に生まれる人もいれば、戦争の絶えない国に生まれる人もいます。アメリカに連れて来られた多くの黒人は人間ともはおもえない扱いを受け、今も人種差別がまかり通っています。

 

日本に生まれたとしても、健常者に生まれる人もいれば、生まれながらにして心身に障害を持つ人もいたり、突然の事故で障害者になる人もいます。

 

人としては平等だと、頭ではわかっていますが、日常の生活で本当にそのような対応、応対ができる人はあまりいないのではないでしょうか。

わたしも以前は、いつか自分も障害者になったり病気になったりするのではないか、と不安に駆られていました。

 

でも、シルバーバーチの霊訓を知ったおかげで、この世にこそ不平等、不公平があるけれども、現界(物質界)を含めた霊界全体から見れば、完全な公平性しか存在せず、不公平は一切ないことがわかりました。

 

時として人生が不公平に思えることがあります。ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送り、ある人は光を求めながら生涯を暗闇の中を生きているように思えることがあります。しかしその観方は事実の反面しか見ておりません。まだまだ未知の要素があることに気づいておりません。私はあなた方に較べれば遥かに長い年月を生き、宇宙の摂理の働き具合を遥かに多く見てきましたが、私はその摂理に絶対的敬意を表します。なぜなら、神の摂理がその通りに働かなかった例を一つとして知らないからです。こちらへ来た人間が自分は両方の世界を体験したが私は不公平な扱いを受けているなど言えるような不当な扱いを受けている例を私は一つも知りません。神は絶対に誤りを犯しません。もしも誤りを犯すことがあったら宇宙は明日という日も覚束ないことになります。(『シルバーバーチの霊訓 』一 二章なぜ生まれてきたのか)

 

もしわたしが身体的な障害で寝たきりの生活を余儀なくされたとしたら、この世には神も仏もないと絶望したとおもいます。
なぜこんな理不尽な扱いを受けなければならないのかと社会や神を恨んだとおもいます。
そしてこの世に不平等が厳としてあることをずっとかんがえ続け、答えの出ない迷路で迷っていたにちがいありません。

 

わたしは、ここ数年、困難に見舞われ、因果律の働きでスピリチュアリズムに出会うことができました。そして、不公平、不平等、不幸、困難、苦しみにはちゃんとした原因があって起きていることを知り、長年疑問におもっていた胸の支えが下りました。

 

地上で起きている苦しみや痛みには、必ず原因があります。
それは、自分がおかした自然法則(摂理)に反した行動だったり、生まれてくる自分があえて選んだ困難であるかもしれません。

 

摂理に反すると、心身のどちらか(あるいは両方)に苦痛が生まれます。
大霊(神)が罰を与えているというのではなく、摂理に反した状態から摂理に沿った状態に移行するために必要だからだとおもいます。苦痛によって修正できるからです。
摂理に反した状態のままでいるほうが、人間にとってずっと不幸なのです。

つまり、困難は神が用意してくれた深淵な愛なのです。

 

わたしよりも何倍も何十倍も苦しんでいるかたには、到底受け入れがたいことかもしれません。

しかし、運が悪かった、偶然だった、という理由で困難に突き落とされたら、そのほうがやりきれません。

「この宇宙に偶然は一切ない」というシルバーバーチの言葉をわたしは信じています。

 

わけもわからず不幸な状況に置かれて我が身や世を嘆くことは、本当に辛いとおもいます。
わたしだったら、慰めでも励ましでもない、明確な答えや理由が欲しいと切に願うでしょう。

 

スピリチュアリズムは、わたしの理性に真っ向から答える説明をしてくれました。

世の理不尽や不平等から目を背けられないかたに是非とも知っていただきたいとおもっています。